平成30年10月22日
文化振興課
担当者:
三崎、谷口
電話:
0776-20-0572
代表(内線):
4218
メール:
bunshin@pref.fukui.lg.jp
紹介:
http://www.pref.fukui.lg.jp/doc/bunshin/
【幕末明治福井150年博 第3回リレー講演会】「若狭路からみた幕末―小浜藩、激動政治の渦中へ―」を開催しました!
この度、幕末明治福井150年博実行委員会と気比史学会が主催となり、下記のとおり講演会を開催しました。会場には、約160人の歴史愛好家らが参加し、若狭路ゆかりの先人、梅田雲浜や酒井忠義について学びました。講演内容等は下記のとおりです。
記
1 日 時 平成30年10月20日(土)13:20〜15:50
2 場 所 ニューサンピア敦賀 「若狭の間」
(敦賀市呉羽町2番地)
3 タイトル 「若狭路からみた幕末―小浜藩、激動政治の渦中へ―」
4 講師・講演概要
◆講演A
タイトル:『「草莽」志士の先駆者・梅田雲浜―志士奔走を支えたもの―』
講 師:中島 嘉文(なかじま よしふみ) 氏
(酒井家文庫保存活用協議会長)
講義内容・雲浜は、徳川斉昭の謹慎処分を巡る問題をきっかけに、非常に
早い時期から国事に奔走していた。また、雲浜の活動が実を結
んだ背景には、崎門学(きもんがく)のネットワークがあった。
・雲浜は単なる精神論の志士ではなく、物産交易の周旋など多面
的に活動していた。
・志士として雲浜を活躍させた要因の一つは、小浜藩の京都屋敷
であったのではないか。京都所司代や町奉行から情報を手に入
れていたことがわかっている。
◆講演B
タイトル:『再考 京都所司代時代の酒井忠義
―“薩長中心史論”からの脱却にむけて―』
講 師:仙波 ひとみ(せんば ひとみ) 氏
((公財)宇和島伊達文化保存会)
講義内容・幕末・明治維新史は、これまで、二元対立構図(勤王⇔佐幕、
尊皇攘夷⇔公武合体)で語られてきたが、最近の研究では、構
図理解の見直しが求められている。
・酒井忠義は天皇と将軍の間をうまく調整する重要な役目である
京都所司代を2回も務めている。このことは酒井家が徳川将軍
家からいかに信用されていたかを示している。
・和宮の降嫁を巡る問題でも、酒井忠義と公家との間で本音を言
える信頼関係が築かれる中で孝明天皇も忠義を信頼するように
なっていった。
◆トークセッション:中島 嘉文 氏 × 仙波 ひとみ 氏
内 容・小浜藩も雲浜も、海防の面から敦賀を非常に大事にしていたの
ではないか。
・井伊直弼の彦根藩と酒井忠義の小浜藩は共に安政の大獄に関わ
ったが、必ずしも信頼関係を築いていたわけではなく、小浜藩
の琵琶湖疎水計画を進めるため、両藩には対立があった。
・雲浜のネットワークは、宇和島まで広がっており、その共通の
思いは「外国の脅威から日本を守ること」だった。