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文書館資料叢書『福井藩士履歴7 子弟輩』を発刊しました

平成31年3月19日  文書館では、松平文庫に多数現存する幕末福井藩士の人事履歴資料をまとめて『福井藩士履歴』として刊行しています。これまでに士分と呼ばれた上級〜中級藩士の人事履歴を刊行してきましたが、このたび『福井藩士履歴 7』として、藩士の子弟の人事履歴をまとめ、発刊しましたのでお知らせいたします。


                             記

1 内   容
    藩士の子弟 303名

2 おもな掲載人物
 ・八木八十八(日下部太郎)(やぎやそはち(くさかべたろう)、1845-1870)
    八木郡右衛門の長男。慶応元(1865)年に英学修行のため長崎に赴く。
   幕府の海外渡航の禁令が解かれると米国留学の第一号に選ばれ、慶応3
   (1867)年横浜から出航、州立ラトガース大学に入学し、後の福井藩雇
   理化学教師W・E・グリフィスの指導を受けた。理科コースを専攻。
    4年の課程を3年で習得し、常にクラスで首席を通した。明治3(1870)
      年、卒業を目前に病死。同大学より黄金の鍵(首席卒業生の証)が贈ら
      れている。

 ・長谷部卓爾(はせべたくじ、1845-1910)
    長谷部甚平の長男。文久3(1863)年に航海術修行のため、兵庫に赴き
   勝海舟の下で学ぶ。明治2(1869)年、箱館産物取締御用掛。明治5(1872)
      年、会計事務局に出仕。以後、箱館裁判所民政掛監察兼外国掛、徴士箱館
      産物取締御用、開拓使御用掛、開拓権判官、開拓少判官、開拓中判官などを
      歴任。
    明治6(1873)年より樺太支庁に在勤。明治8(1875)年、樺太・千島交換
   条約の実施のため理事官に就任。明治22(1889)年、山形県知事に登用さ
      れる。明治38(1905)年、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任
      した。

 ・団野確爾(だんのかくじ、1847-没年未詳)
    団野千久馬の養子。文久3(1863)年、芝御陣屋番士として取り立てられ
      る。その後隊士として諸隊に配属され、天狗党の乱や会津戦争に従軍。明治
      2(1869)年、柔術世話役頭取となるが、翌年2月に土着開墾と一万五千坪の
      譲渡を願い出て許可され、帰農。
    同年閏10月、由利公正に随行した東京出張をきっかけに酪農家を志し、
      築地の牛馬会社や横浜在住の英国人から搾乳・製乳を学び、洋牛を購入して
      帰福。乳牛の飼育と牛乳の販売を開始する。事業は失敗に終わるが、再興を
      図りそれが交同社(福井藩の士族が設立した活版印刷・牛乳販売の会社)の
      基礎となる。

3 刊行計画
   『福井藩士履歴1〜6』(既刊)、『福井藩士履歴7 子弟輩』(今年度刊行)
   『福井藩士履歴8〜 新番格以下(仮題)』(来年度以降刊行の予定)

4 配布方法等
   平成31年3月26日(火)から、希望者に文書館閲覧室において配布
   県内図書館、都道府県立図書館・文書館等へ配布
   ※県文書館

5 判および発行部数
   A4判(本文128頁)  印刷部数 1,000部

6 その他   県文書館ホームページで閲覧可能
印刷用 印刷用ページ 添付資料 連絡先
文書館
担当者: 中村、和田
電話: 0776(33)8890
メール: bunshokan@pref.fukui.lg.jp
紹介: http://www.library-archives.pref.fukui.jp
記事ID: bR2f871552360131eT

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